『グレート・ギャツビー』
- 作者: スコットフィッツジェラルド,Francis Scott Fitzgerald,村上春樹
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2006/11/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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映画も見てないし、筋書きも全く知らなかったので、これほど美しくも静かな哀しみに満ちた小説だとは知らなかった。最後の場面では、相当苦心して訳したというだけあって、ジーンときた。
ところどころでいかにも村上さんが影響を受けたっぽい言い回しがあって、それを見つけるのも楽しかった。
いちばん琴線に触れた一節は、
・・もしそうだとしたら、かつての温もりを持った世界がすでに失われてしまったことを、彼は悟っていたに違いない。たったひとつの夢を胸に長く生きすぎたおかげで、ずいぶん高い代償を支払わなくてはならなかったと実感していたはずだ。彼は威嚇的な木の葉越しに、見慣れぬ空を見上げたことだろう。そしてバラというものがどれほどグロテスクなものであるかを知り、生え揃っていない芝生にとって太陽の光がどれほど荒々しいものであるかを知って、ひとつ身震いしたことだろう。その新しい世界にあってはすべての中身が空虚であり、哀れな亡霊たちが空気のかわりに夢を呼吸し、たまさかの身としてあたりをさすらっていた・・
デイジーという夢を追って、それだけを目当てに生きてきたギャツビーが、その夢に破れた時・・。誰にでも若い頃、一度は否応なく訪れる挫折というものが、彼の場合はあまりに悲劇となってしまう。自分にとって何物にも代え難い重要な何かを失った時の、世界が変わって見えるほどの空虚感・・。
これを読んだあと、本棚の奥の方にあった野崎さん訳の『グレート・ギャツビー』を取り出して拾い読みしてみたら、なるほど、全然違った小説みたいに思えた。