『忘却の河』

忘却の河 (新潮文庫)

忘却の河 (新潮文庫)

 池澤夏樹の解説を先に読んだ。古い小説を今、復刊したり新訳で出したりする意味を常に考えている作家らしく、「今、『忘却の河』を読む」というタイトルでその意味を深く探る内容だった。

 人には一つずつ魂があり、それがその人のいちばんの核の部分であり、家族の中の立場や社会的地位などはその外側に付加されたものでしかない。むずかしいのは周囲に付加されたものを越えて魂どうしで思いを伝え合うことだ。その困難を孤独と呼ぶ。

 そして、人という存在が、無限に続く平原に無数に立っている塔の屋上にいる、という。人格という塔に囚われた魂は、隣の塔にいる人と関係を築くためにはいったんその塔から降りていかなくてはならない。様々な困難が付き纏って、それはなかなか成就できるものではないと。
 本編は藤代という50歳を過ぎた男とその周囲の妻、娘二人、娘に思いを寄せる男などの視点から語られる7つの章から成り立っている。その一つ一つが独立した短篇小説としても読める。
 藤代は若い頃、恋人を裏切って死に追いやってしまった過去を持ち、ずっとその幻影に苦しめられている。彼の妻は、病気で何年も寝たきりで、夫を「あなたは冷たい人だ」と常に責めている。妻もまた、遠い過去に出征間近の学生に恋心を抱いたことがあって、死の床にあっても彼を思い出して寝言で名前を呼んだりする。娘たちも、それぞれ恋に、両親への思いに、葛藤を抱えて生きている。家庭という檻の中で、誰もが孤独を胸に秘めて苦しむ姿が描かれる。魂というものが、自分の思い通りに他者と通じ合えるのなら誰もそれほど苦しまないのに。その難しさはきっと、何十年前も今も変わらないのだろう。
 「賽の河原」は怖かった。実際にそういう場所があったら嫌だな〜っと思って読んでいたら、作者の創作だというのがあとがきで書かれていたので、安堵した。
 池澤さんの最後の一文――

 息子であるぼくがこういう文を自分の本に添えたと知ったら父がどんな顔をするか、見てみたいと思うけれども、それはこの世でかなうことではない。

 すごいじーんときて、この二人のファンで良かったと心から思った。