『アサッテの人』

アサッテの人

アサッテの人

 まさか芥川賞受賞作でこれほど笑わせてもらえるとは。芥川賞というと、何を言いたいのか全然わからないとか全く面白くないというイメージが(私だけか〜)漠然とあったのだけど(中村文則は別)、これはかなり前衛的なのに結構理解できたし、とても面白かった。
 語り手の「私」は、突然失踪した30代半ばの叔父の部屋を訪れ、そこで彼の日記を発見する。叔父についての小説を書こうとしていた「私」は、事故で数年前に亡くなった妻・朋子の視点を借りた夫婦のスケッチ、自分が年少の頃から叔父と一緒に過ごした日々の追想、叔父自身の日記などを複雑に組み合わせながら、その小説を完成させようとする・・・。
 叔父は相当変わった人で、青年期には吃音で悩み苦しんだ。それがある日突然治ると、今度は会話の途中に「ポンパ」とか「タポンテュー」「チリパッパ」とかいう意味不明な言葉を挟むようになった。これは叔父が考え出し、「私」が「アサッテ」と名づけた独特な行動形式?だったのだ。この様子がとても可笑しくて、何箇所か爆笑だった。特に朋子が「タポンテュー」の練習をしすぎて唇がドナルドダックみたいになった場面とか。 
 今読んでいる河合隼雄先生の『人の心はどこまでわかるか』という本に、精神的な疾患に苦しんでいる人が、ひとたびその病気が治ると、今度は別の苦しみに襲われてしまうというのはよくあることなのだと書いてあった。「治る辛さ」というのが、確実に存在するそうだ。
 アサッテの叔父も、吃音が治った代わりに現実という定型化された日常の枠組に捉えられ、別の苦しみを感じるようになってしまい、なんとかバランスを取るために「アサッテ」を考案したのではないかと「私」は考える。人の心の複雑さをなんと的確に表しているのだろうと感服した。 
 叔父の仕事は大きなビルのエレベーターの管理で、一日モニターを見ているのだが、そこに登場する「チューリップ男」にも爆笑してしまった。突然コサックダンスとか・・。
 この小説は、普通の小説のように作りものめいた大団円では終わらない。叔父がどうして失踪したのかも分からないし、生死も不明だし、結局何のカタルシスも得られない。が、アサッテは、何故かとても心に残る。何気なく暮らす普通の人が、一人で密室のエレベーターに乗ったとき、突如としてアサッテ男になっちゃったりしたら、なんて想像しただけで、退屈な日常が少し変わるように思えてくる。これからは芥川賞も要チェックだな〜。