『祈りの海』

祈りの海 (ハヤカワ文庫SF)

祈りの海 (ハヤカワ文庫SF)

 イーガンは『しあわせの理由』→『ひとりっ子』と短篇集ばかり読んでこれで3冊目。未だに長編に手を伸ばす勇気が出なくって、『ディアスポラ』と『宇宙消失』を積読中。
 数学や量子力学分子生物学やらの専門用語がこれでもかと出てきて、ド文系の私にとっては辛いんだけど、多少(じゃないか 汗)分からないところがあってもなんとか最後まで読みたくなってしまうのは、どの話もただ難しい理論をこねまわしてるだけじゃなくて基本的に人間(の苦悩)を描いて、ちゃんとストーリーがあるから。
『貸金庫』
 与えられるべき肉体を持たず、常に他人を「宿主」にして、意識だけで生きている男。

 ありふれた夢を見た。わたしに名前がある、という夢を。ひとつの名前が、変わることなく、死ぬまで自分のものでありつづける。それがなんという名前かはわからないが、そんなことは問題ではない。名前があるとわかれば、それだけでじゅうぶんだ。

 どうしてそうなったのかは最後の方で明らかになるんだけど、誰かの人生を覗き見するようにしか生きられない彼の、この独白は切なかった。
『キューティー
 子どもがほしい男とほしくない女、という状況(普通逆だろうに)からしてすごく興味を引かれた。最初ペットロボットみたいなものなのかと思ったら、擬似膣に射精までして本当に妊娠して(男が 汗)産むし!・・細かい設定まで全部理詰めで説明して、なるほど〜、そういうことか、と一応すじの通った話にしてしまうところが、イーガンって本当にすごいと思う。ペットが死んだって悲しくてなかなか立ち直れないのに、自分の腹を痛めて産んだ子どもなんだものな〜。このラストはもう、想像通りだった。分かってたんだから、やらなきゃよかったのに、っていう・・。
『ぼくになることを』
 これはいちばん考えさせられた。誰もが頭の中に、記憶から行動や感情のパターンから、脳の全ての情報をバックアップする「宝石」を持つ時代。脳の成長が終わると、それ以上老化する前に生きている脳を外科手術(スイッチ)で取り去り、「宝石」を元に神経系を全て機械にして、肉体さえその都度交換していけば半永久的に生きることが出来る。
 自分という存在を機械に明け渡してしまうのが恐ろしくて「スイッチ」を先のばしにしている「ぼく」が、とうとうスイッチを決めた直後に起こった体と心の不一致とは・・。自分が自分であることとはどういうことなのか。そっくり同じ機能を持った人工的な脳があって体を制御できたら、その人間と自分はどう違うのか。自分とはそもそも何なのか。この小説の結末はすごく恐ろしい。でも考えずにはいられない。
『繭』
 高度に医療技術が進化した世界。将来悪影響を及ぼすであろう危険因子を、胎児の段階で全て取り除くという研究をしている企業が何者かに爆破される。警察が民間に委託された機関で審査官として働くゲイの男。二転三転するストーリーに息を飲みながら一気に読んだ。生まれてくる子がなんらかの障害を持つことが分かっていたら、生まれる前にそれを取り除きたいというのは、親ならば誰でも抱く思いだろう。でもハンディを負った人が全くいない社会が、果たして最善の社会なのか。実際に生殖医療で扱われる重いテーマを、SFにして投げかけている作品。
『百光年ダイアリー』 
 未来に起こることが全て書かれている日記があったら、果たしてその通りに行動できるか?
『誘拐』
 今ある自分の姿をスキャンして、仮想空間で永遠に生き続けることが可能になった世界。ここでも、生きて存在している自分とはいったいどういうものなのか、という問題が扱われている。主人公の母が「コニー・アイランド」と呼ばれるその仮想空間で、自分の姿や部屋の装飾を好きに変えて楽しげに暮らしているのが印象的だった。一瞬、こんなことができたらいいな、と思って。
 突然妻の映像(だけじゃなく詳しい情報)を見せられ、身代金を要求される男。妻は無事であることがすぐ確かめられ、誘拐は狂言だったことが判明する。が、犯人は二度、三度と要求の画像を送ってくる。それに対して男が取った行動とは・・。イーガンは男女(とは限らないが)間のゆるぎない愛情というものが、絶対に存在すると信じている人なんだろうと思う。だからどれほど突拍子もない話だろうと、心情的には納得できる気になってしまう。この男の奥さんに対する愛情もすごく強くて、男の取った行動、その理由に知らずしらず共感させられてしまうのだ。

「いいかい、わたしたちはおたがいのことを、どうがんばっても、そんなふうにしか知ることができないんだ―――イミテーションとして、<コピー>としてしか。わたしたちに知ることができるのは、自分の脳の中にいる、おたがいの一部分でしかないんだ」
「あなたはわたしのことをそんなふうに思っているのね?自分の頭の中の幻想だと?」
「そうじゃない!だが、それがわたしに知ることのできるきみのすべてだとしたら、それこそが嘘偽りなくわたしの愛しているきみのすべてということになる。わかるだろう?」

 二人のこの会話は、恋愛についての普遍的なことを言っているような気がした。
『放浪者の軌道』
 これだけファンタジーのような。様々な宗教とか思想とかが「吸引子(アトラクタ)」となって渦巻く世界を、どのアトラクタにもとらわれたくない男女が旅をする。着想がすごいと思った。
ミトコンドリア・イヴ』
 すべての人間の祖先が一人の女性に収斂するという学派と、男性にいきつくという学派が争って・・。正直、三代前の先祖だって興味ないのに、もうどうでもいいじゃん、って思えてきた(す、すみません・・)
『無限の暗殺者』
 幾重にも重なった平行世界を描いた作品。ディックの『ユービック』を思い出した場面もあった。たくさんのほかの世界の自分のことを常に考えて行動しなくちゃならないなんて、さぞ大変だろうな〜っと、主人公に同情。
『イェユーカ』 
 SF的、国境無き医師団。ラストが衝撃的だった。
『祈りの海』
 子どもの頃に体験した宗教的なめくるめく体験が、自分の全ての基になったその体験が、実は・・だったっていう。これも発想がすごくて圧倒された。この小説に漂っている雰囲気、ストーリーなどは全く違うんだけど、どことなくハロサマに似てるような・・。
 全体的にすごく楽しめたし、イーガンはストーリーテラーとしても一流だと思った。理系の知識がないからって敬遠するのはもったいない、もっとがんがんと読んでいかなくちゃいけない作家なのです。・・でも『ディアスポラ』とか無理っぽい。